2014.04.24 10:15

大阪の金属加工メーカー、原発事故サポートし新たな企業価値を

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記者:中津りりか

港製器工業(大阪府・高槻市)は鉄やアルミ、ステンレスなどの金属加工メーカーで、日本で唯一製造、販売する海上コンテナの固縛金具では世界4位のシェアを誇る。東日本大震災では大破した福島第一原子力発電所の放射線の拡散を防ぐカバーを支えるつり天秤(てんびん)を設計、製造から、現地までの運搬を請け負った。2代目の岡室昇志代表(49)はこの経験が「会社の存在価値を見直すひとつのきっかけになった」と話す。


同社は1957年に海上船舶金物の製造工場として初代代表、岡室昇之眞によって創業された。その後、建築用、住宅用と事業の幅が広がり、2008年に現代表が就任。最も力を入れている事業は海上コンテナの固縛金具の製造販売で、兄弟会社の大洋製器工業(大阪市西区)の事業の一部を同社に統合し、世界シェア1位を目指している。

放射線を防ぐためのカバーの製作を東京電力の発注で請け負った大手建設会社のルートから「つり天秤を作ってほしい」という依頼がきたのは2011年5月。緊急を要するため、提示された納期は通常の半分の2カ月。しかも、同社が扱う吊り天秤の3倍もの大きさの設計・製造は初めてだった。

そのため、一から図面を作るだけでなく、現地までの運搬方法を考え、原発のカバーに適した大きさの天秤を製作する工場を持つ協力会社まで探す必要があった。条件が厳しすぎたため一度は依頼を断ったが、依頼主から懇願され、社内で話し合った末「国の一大事だ。我々が力になるならば」と天秤の製作を引き受けることにしたという。

製作期間中は専属の担当者が3人、つり天秤の製作に専念する一方、工場を持つ協力会社探しにも奔走した。納期の短さからなかなか協力会社を見つけることはできなかったが、以前から付き合いのある会社が名乗りを上げてくれた。

設計では、失敗の許されないプレッシャーのなか、細かい荷重を計算し、組み立てを考えながら何度も図面の書き直しを余儀なくされた。図面の修正がある度、製造作業も変更しなければならない。幾度もの作業のやり直しに「もう無理だ」という声が何度も社内で上がった。

その度に全社員が「国難のため、私たちにできる最善を尽くそう」と呼びかけ合い、同年7月、つり天秤の完成にこぎつけた。多くの苦労を全社で一丸となって乗り越えたことで「無理だと思ったことも、その気になれば必ずできる」という思いを、社員みなが共有できるようになったという。

ただ、天秤の完成は放射性物質の流出を防ぐための第一歩にすぎないが「製造をする人から現場で処理をする人まで多くの人が関わっているなか、カバーが完成し、無事に取り付けが終わった時はようやく安堵した」と岡室さん。

この結果、全6基ある原発のうち、1、2号機にカバーが取り付けられ放射性物質の流出は100分の1に抑えられたという。今回の体験は岡室さんの経営理念にも前向きな影響を与えた。

「ものづくりを通して本当に人の役に立てたと感じたのは感無量だが、現地ではいまだに問題は解決していない。危険と隣り合わせのなか、現場で作業する人々が国を支えてくれている」と話し、創業56年を経て2012年に初めて経営理念を変更。

より社会に役立ち、必要とされる企業になるべく「イメージをスピード実現する達人として、共に未来を創ります。」を新たに打ち出した。企業理念を中心においた経営を目指し、これまで以上に社員教育にも力を入れていく方針だ。岡室さんは「長年の経営の壁を越えたい。目標達成のための転換期は今だ」と話している。

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記者プロフィール

中津りりか

中津りりか

役職 : -
在学中 : 立命館大学産業社会学部(3回生)
出身地 : 大阪
誕生日 : 1992年6月1日
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